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2019/10/22

詩央里brothersという仲間について

詩央里brothersという仲間について

ずっと書きたかった内容。
半年くらい書きたいと思ってたかも。(笑)
長くなりそうだな〜!

詩央里ちゃんと一緒にやってるバンドの方々ってどんな繋がりなの?ってよく聞かれます。
今考えると自分でも不思議に思えるような出逢いと繋がりなので1つ1つじっくり思い出しながら書いてみよと思います。

まず前置き。小さい頃から歌うことが好きで、とにかく歌がうまくなりたかった。高いレの音を出せるようになりたいとか低音震えずに出したいとか高音にハリが欲しいとか。
通ってた中学高校がやたらと英語に力入れていて1人1つ録音機能のついたCD再生機を持たされていたんです。英語のCDを聞いて真似して発音して録音して聞いてみて身体で覚えましょうみたいな感じで。
それを自宅に持って帰って歌の練習に使ってた。英語のために使ったことなかったな(おい)
好きなアーティストのCDを流して、真似して歌って録音して聞いて。何回も繰り返すうちに出したかった声が出たりして喜んでみたいなのを延々と部屋でやってた。超楽しかった。とにかく歌がうまくなりたかったし、色んな声を出せるようになりたかった。
そしてその頃歌の発表会は全部オケで歌ってて、
生演奏でも何回か歌ったことがあったけど特に生演奏にこだわりもなかった。
むしろオケで歌う方が方が好きだったかも…………苦笑
そんな私が大好きな仲間に出会ってバンドで歌うのが楽しくて仕方なくなったという話。

詩央里brothersの歴史について。

まず全ての始まりはばべちゃんとの出会い。

私が大学生の時、居酒屋のバイト先が同じで家も近くて仲良かったばべちゃんとお互い音楽やってるなら1回一緒になんかやろう!ってなって2人でスタジオに入ったの。

ばべちゃんと言えば、とにかく老若男女に好かれる人気者。居酒屋に飲みに来る男性グループが今日ばべちゃんいる?とか言って聞かれることも結構あったな。普段おっとりな性格してるけど音楽に対しては熱い。ドラム叩くと途端にカッコイイばべちゃん。
私が色々あって音楽離れしてた時期も、また音楽やろうと思わせてくれるきっかけをくれたのはばべちゃんでした。

さて、ドラムばべちゃん、ボーカル私。
私はその頃楽器何も出来なかったので、とてもスカスカでした。そりゃそうだ。
なんでドラムとボーカルだけでスタジオ入ろうと思ったんだろ。
謎すぎるけどこれが全てのはじまりでした。

ドラムとボーカルだけじゃライブは無理だねってなってすぐにばべちゃんが、セッションイベントで知り合ったというピアニスト白石なるを紹介してくれたのです。

とりあえず、2人でスタジオに入ってみようということにはなったのですが。
その頃の私は楽譜もよく分からなければコードも1つも知らず、音楽業界に生きる人たちのルールや常識など全く知らなかった。

今考えると恐ろしいけど、その時私は歌いたい曲をメールで伝えて伴奏は耳コピでお願いします、というようなことを送ったんです。確か。
それに対してまだ会ったことのないなるくんから超長文の怒りのメールが返ってきた。
内容は音楽について。
全部読んで納得は出来たしなるくんの音楽に対する情熱も伝わったけど今以上に怖いもの知らずだった私は、音楽を好きな気持ちは私も白石なるさんに負けているとは思いません。と返事した。
怖いもの知らず過ぎてもはや自分が恐ろしいけど。
その数日後に初めましてのスタジオ。

THE BOOMさんの風になりたいと絢香さんの幻想曲を一緒にやったんだけどね。

びっくりした。ピアノが歌ってるみたいで一緒に歌ってる感覚。とにかくびっくりして楽しすぎてテンション上がりまくった私は「すごい!本物みたーーーい!!!」と叫んだのですが、未だになるくんにあの時の本物みたいって何だよって言われる。確かに。

会う前はどうなることやらって感じだったけど結果超ハッピーで帰宅。
今や曲できたら一緒にスタジオ入ったり、私の曲をめちゃくちゃ素敵アレンジにしてくれたり。そして何より誰かと一緒に音を鳴らす楽しさを教えてくれた人です。

それからばべちゃん、なるくん、私で3人でライブをするようになって。楽しかったな〜

ある日なるくんがベースも欲しいって言って、なるくんと当時同じバンドメンバーだったベーシストを紹介してくれたのです。

それが、かをりん!
ベーシスト渡部かをり。

なるくんが紹介してくれてすぐにメール。
最初から優しさの塊みたいな人だった。

かをりんは、私が曲を作ってを持っていくとどうゆう背景で書いたのかを聞いてくれます。それを知った上で音を鳴らしてくれる。すごく音が寄り添ってくれるの。
普段はロックバンドでベース弾いてるかをりんめちゃくちゃカッコイイけど、私と一緒に演奏してくれる時の寄り添いベースのかをりんも大好き。

音楽的ではもちろんだけどプライベートでも仲良くしてくれるかをりん。
多分かをりんの存在に救われたっていう人はたくさんいると思うけど、私もその一人。
困ってる人に手を差し伸べることを全く惜しまない人というか。
お手本にしたい素敵な人です。

かをりんもブログにこの仲間の歴史について書いてくれてるのでぜひ読んでみてね!

https://ameblo.jp/plusa-bassist/entry-12533565113.html

この4人で何度かライブして、どんな無茶ぶりにも受けてたってくれるこの神メンバーのおかげでバンドが楽しくて仕方なかった。衣装も本当に何でも着てくれたな……(笑)

少しして私が突然ワンマンしたいって言ったの。
そしたら、みんないや落ち着けちょっと待て、ワンマンってどんなのか知ってる?みたいになったんだけど、私がおじいちゃんが癌になって手術してなんとか成功して今頑張って生きてるから、私が好きな仲間たちとライブしてる姿見せたいって言ったら、みんな即よしやろう、って言ってくれて。
やることになった初めてのワンマン。
ライブに来てくれる人も仲良くしてくれてる友達だけだった私が背伸びしまくりワンマン。

場所は二子玉川にあったKiwaというライブハウス。
劇場みたいなつくりになっていて雰囲気も音響も素敵な場所。
背伸びすぎたけどね本当に。度の過ぎた怖いもの知らずだったからこそ出来たようなものだったないま考えたら。
でもとても楽しかった。
おじいちゃんは結局来れなかったし、大赤字だったけどいつかちゃんと胸を張ってこの会場で歌える自分になって歌いに来たいと思った。

この背伸びワンマンから、バンドでギターを弾いてくれるようになったまっちが参戦。
まっちは、私とバイト先が一緒で、まっちがバンドのギターボーカルやってたのを知って、一緒に路上ライブやろうよって声掛けたのがきっかけ。
ツインギター、ツインボーカルで路上ライブやりたくて何度か一緒にカラオケ行って練習してみたけど、私がギター弾けなすぎて無しになりました。(笑)

バンドにギターがいなかったから、ワンマンするんだけどまっちギター弾いてよ!って言った私。

突然過ぎてびっくりしてたけど喜んでくれた気がする。

まっち、自分は大学の軽音部でギターボーカルやってたくらいだからこんな音楽に生きる人たちの中でギターを弾くのは不安だって言いながらも毎回物凄い練習してきてくれて、バンドにまた新しい色を添えてくれてる。

きっと大変な思いをたくさんしてきたと思うけど、このバンドでギター弾けて幸せですって伝えてくれて、私も嬉しい。

という流れで詩央里brothersと仲間が集まりました。
brothersというのはいつだったか私が勝手に命名。
一人っ子の私は兄弟がとても欲しくて、このメンバーで一緒にいると兄弟いたらこんな感じなのかもっていう妄想から。

それからは頻度は多くなくとも色んな場所へこのメンバーで演奏しに行ったし、アルバムのレコーディングもこのメンバーで録った。

そしてある時、このメンバーで今後どんな形で続けていくかって話になったの。

バンドのメンバーとして活動するのか、サポートとして今と変わらずの形で続けるのか。それはあやふやにするべきことじゃないと思ったからしっかり私から伝えておきたい内容だった。

私にとって大好きな仲間、宝物みたいな人たちだったのでもちろん今後もずっと長く一緒にバンド出来たらいいなとは思っていたけど、みんなにはこれからもサポートメンバーでいて欲しいと伝えた。

バンドって、仲間と目標に向かって色んなことを共有して助け合って、本気でやるからこそ時にはぶつかって、理解しあって進んでいくものだと思っていてそれが音になり絆になっていくものだと思ってる。バンドで生きていこう!というのはやったことないから妄想なのだけど。

私はこのメンバーと共有したかったのはいつだって大好きなメンバーと音楽をするこの時間だったのね。それだけだった。
音楽を続けていく上で色んな困難は常にあったとしても、この人たちの音と歌えればそれで幸せだったから。

それから、身近な人がある一定の年齢になったら音楽から離れて行ったり、現実的に音楽続けられなくなったりしてた。それが悲しいけど仕方なくて。
その頃みんなにギャラも全然渡せなくて、この人たちと音楽を続けるには超余計なお世話かも知れないけど私がちゃんとこの人たちの生活費の一部となるギャラをちゃんと渡せることがこれからも一緒に続けていけることに繋がるとも思ってた。
しっかりギャラを渡せるようにならなくては、って。当たり前なんだけど。

メンバーそれぞれが夢を持っていて、その夢はそれぞれが持ったまま一緒に音楽できる時間は大切にしたい。

そんなことを伝えたらみんな真剣に聞いてくれて嬉しかった。
みんなが具体的にどう思ってたかは分からないけど、かをりんが「大好きだからこそサポートでいて欲しいっていうのはしおりちゃんらしいね」って言われたのがなんかとても頭に残ってる。

とは言え、サポートメンバーっていうと違和感なくらいたくさんの時間を過ごしてきたし一緒に色んな曲をつくったり演奏したりしてきたからやっぱりbrothersで!

いつどうなるか分からない世界だから一緒に演奏できる時間をその時々大切にするの。
そんな気持ちでメンバーへ書いた曲が行く道交わる日。

5年前に出会って、色んな経験を共有し、明日のワンマンライブまで一緒に進んでくれた仲間へ感謝。

それぞれがそれぞれに輝き、
一緒に過ごした時間が私とメンバーにとって幸せの時間でありますように。

行く道交わる日

長く一緒にいた日の別れ際は
込み上げてくる寂しさに耐えながら歩く
今日というこの時間がずっと続けばなぁ
消えない余韻浸りながら帰る

楽しい時間 大事な人
きっとどれも永遠じゃない
だから伝えたいことは伝えられるうちに曲を書きました

壊したくないもの
一つに向かい進んでく風景
心配や不安は持ち込まずに好きな話をしよう

それぞれが向かう先があるからこそ
この時間がすごく幸せに感じる

共に過ごした時間が心で生きて
どんな時でも力をくれている

少し前まで想像も出来なかったこと
何度も重なってその度に感じた
同じ一歩を

力が合わさって
その度に楽しくなって
もっと見たことないもの見たくなっていく
そんな幸せの時間

一人で立ち向かう時には
背中に仲間を感じ
いつもどんな時でもみんなの音たちが心で鳴ってる