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2020/06/23

それでも帰りたい

聞いたことのある言葉。
よくニュースで聞く言葉。
私にとってその程度の認識だった児童相談所。

昨年私の生まれの北海道に数日間帰った。
そこに住む私より歳が5つ下の従姉妹がそこで3年働いていた頃の話をしてくれた。
それは終始あまりに衝撃的な話でした。

大人に保護された子供が行き着く場所である児童相談所、児相。
何が何だか分からないまま朝だろうと深夜であろうと保護され連れてこられる子供。
そのほとんどが家庭環境に大きな問題を抱えている子だと言う。

親の暴力で身体中に大きな痣がある子、しつけの一環だと雪の振る公園にくくり付けられて死ぬ直前で保護された子、言うことを聞かないからと水中に沈められた子、突然知らない場所に置いていかれた子、残酷な状況に置かれている子が想像以上にたくさんいる。

驚くのは、それでも児相に連れてこられた子供たちの殆どが家に帰りたがるのだそう。
両親に会いたいと。
中には夜中に抜け出し雪道を裸足で走って帰ろうとする子もいるらしい。
従姉妹が追いかけてどんなに説得しても「帰りたい」しか言わないのだと。

どんな親であっても子供にとっては代わるものがない大事な存在。
だからその子に降りかかる、受けるべきでもない暴力さえその子にとってはその子自身の存在証明になってしまう。
親の暴力により強制的に引き離され、親権さえ捨てた親に対しても子供はいつか一緒に暮らせる日が来ると信じている子が沢山いるという事実。

そんな状況にあることで、自分の生きている意味が分からなくなり死ぬことしか考えられず自殺未遂を繰り返す子に対しては医療での対処として、脳に電気ショックを与え、記憶を飛ばすこともあると。苦しい記憶を消すことでまた生きていけるというもの。

従姉妹が、保護された当初から見守っていた子がその治療を受けることになり、治療後に会ったら何も覚えていないのはもちろん、表情も無くただぬいぐるみを抱いている姿を見て胸が苦しくなったと言っていた。

連日テレビから流れてくる残酷なニュースの数々。
悲しいことにそれらは現実で起こっていることのほんの一部。

一通り話した後に、従姉妹はこんな状況を見ているから自分は子供が欲しいと思えないと言った。
もしかしたら自分だって自分の子供を傷つけてしまうんじゃないかと思うと。

子供を傷つける大人は、特別暴力的な性格ということでもなく至って普通な人なことが多い。
子供のSOSと同じくらい実はその大人たちが助けが必要なんだと思う。
そんな大人たちを非難する、罰を与える、では根本の解決が出来ない。

児相にいる子たちが過去のトラウマを思い出し従姉妹を突き飛ばして首をしめたり、髪の毛を引っ張ったり、そんなこともあるらしい。
でも、そんな子たちを怖がることなく一人一人と向き合い、彼らの声にならない悲痛な叫びに耳を傾けていた従姉妹に頭が下がります。
私よりも5つも年下なのにな。
そうやって接していれば時間はかかれど普通に話せるようになるんだって。
従姉妹は一体何人の子供の心を救ったんだろう。

何の不自由もなく育ててもらった私になどこんなことを語る権利などないかもしれないが、私に何か出来ることはないかと考えずにはいられない。

今までこんな事実を知らないでいたことが自分の大きな罪だとも思える。

今日も電話の向こうであまりに理不尽な内容で子供に罵声を浴びせ謝らせ続ける母親。

弱々しいごめんなさいごめんなさいママ…の子供の声が頭から離れない。

救うべきは親か、子供か、どちらもか。