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2025/03/07

「推しは推せる時に推せ」という言葉について、考えたこと

「推しは推せる時に推せ」
ってどういう意味なんだろう。

心の余裕がある時に楽しく推そうね!
なのか、
推しの活動がいつ終わるか分からないのだから行ける時に行こうね!
なのか。

どっち?

後者で使われてることが多い気がする。

どうもこの言葉を使う気にならないのはなぜなのか、セルフ考察。

私たちが楽しんだり心の拠り所にしているのってその推しが発信したものだったり魅せてくれたものじゃなかろうか。

「生」に拘って一切データには残さない、という活動スタイルならもうその時しかないけど、
今は特に、検索すれば、購入すれば、探せば自分のタイミングで沢山それに触れられる。
リアルタイムじゃなくたって。

今頑張りたい仕事に没頭して毎日睡眠2時間の日々が続いてたとして、それでも心に栄養を補うために推し活が必要なら存分に楽しんで栄養満タンにすべきだし、楽しめる隙もないなら多分「今」じゃない。

入れ替わり続けるエンタメ業界、存続の危機はいつだって隣り合わせで、届けたいものを届けるために必死に戦っている。
感覚として例外なく全ての「発信者」たちが。
それを公に見せるか見せないかは人によるだけで。

有限なのは、推される方も推す方も同じ訳だ。
お互いさま。人間なんだから。
命、病気、未来、選択。全部。

とは言ってもリアルタイムで楽しめるものって多い。
その「リアルタイム」を楽しみたいのならもう答えは出てる。

と一通り考えて私は、
「推しは好きな時に推す」がいいなって。